いつしか季節は冬から春になっていた。
俺が難破船から放り投げられたのが、去年のやはり春。もう一年が経過してしまった。 海で死にかけていた俺を助けてくれた森の民の二人、ニアとルードはあれ以来会っていない。 少しは強くなった今、ルードにお礼参りをしてやりたいところだが、居場所が分からないんじゃ仕方がない。「ご主人様。税金の請求書が来ていますが、納税に行きますか?」
春のある日、盗賊ギルドで次の冒険の準備をしているとエリーゼが言った。
「冬に納税したばかりですので、締切に余裕はあります。まとめ払いも可能です。どうしましょうか?」
「うーん」
俺はちょっと考えた。
盗賊ギルドのある町から王都までは片道五日。 すぐ近くというわけでもない。正直、わざわざ行くのはちょっとめんどくさい。 だがまとめ払いで締切ギリギリまで粘ると、前のように思わぬ事態で脱税犯罪者になってしまうかもしれない。あれは本当にひどい目にあった。
もう一度免罪符を発行してもらうわけにはいかないから、慎重に動かなければならない。二度とあんなのごめんだよ。
考えた結果、俺は答えた。
「配達の依頼がてら、納税に行こうか」
「分かりました。旅の準備をしますね」
以前は俺一人でやっていた準備作業も、今ではほとんど彼女がやってくれる。
俺もいい身分になったものだ。というわけで、俺たちは王都へと旅立った。
旅の途中、野宿の際の食料は現地調達もする。
獣や鳥を狩ったり、川や湖があれば釣りもする。 この前、新しく料理スキルを習得した。 おかげで狩った肉や釣った魚もその場でおいしく調理できて、とても助かっている。「料理スキル、もっと早くに取ればよかったよ」
焚き火で魚を焼きながら、俺はしみじみと言った。
料理スキルを覚える前は、ただ肉や魚を焼くだけでも失敗ばかりだった。黒焦げだったり生焼けだったりで食べられたものじゃないのだ。おいしい食事は心を
それからあちこちの店を巡って、俺は何冊かの魔法書を買った。 おなじみのマジックアローと戦歌の魔法に加えて、新しく光の盾の魔法と沈黙の魔法に挑戦してみることにしたのだ。 光の盾は防御力アップ。 沈黙は相手の魔法を封じる。 俺の読書スキルも少しは上がったからな。 新しい魔法を覚えて戦術に幅を出したい。 次は武具を見てみようと大通りを歩いていると、衛兵に呼び止められた。「冒険者のユウだな?」「えっ、あ、はい、そうですけど」 カルマ下がりまくり犯罪者時代のトラウマで、俺は衛兵が苦手になっている。 思わずテンパった返事をしてしまった。くそ、エリーゼの前だと言うのに情けない! 衛兵はそんな俺の態度に構わず、つっけんどんに言った。「お前を王城まで連行するよう、命令が出ている」「えっ。俺、なにもしてませんけど」「いいから来い」 俺は問答無用で引き立てられた。エリーゼとクマ吾郎は心配そうな顔でついてきてくれた。 以前ロープで乗り越えた王城の城壁の中に、今度はちゃんと門から入る。 衛兵は問答無用の態度だったが、俺たちに危害を加えるつもりはないようだ。 衛兵や騎士が行き交う中を歩いていく。 やがてたどり着いたのは、見覚えのある塔である。「ここは……」 俺のつぶやきは無視されて、衛兵から騎士に引き渡された。 塔の中に入って螺旋階段を登る。 見覚えのある扉を開くと、彼がいた。 騎士団長にして白騎士の称号を持つヴァリスだった。「久方ぶりだな、ユウ」 彼は穏やかな声で言う。「は、はい。久しぶりです」「急に呼び立ててすまなかった。きみに一つ、仕事を頼みたくてな」 ヴァリスが目配せすると、部屋にいた騎士たちが出て行った。 ついでにクマ吾郎とエリーゼも部屋から出される。人払いか。「きみは森の民だな」「…………」 俺は思わず黙り
頭の仲の映像として見えたのは、地図と地形だった。見えたというか、無理に流し込まれたような感覚だった。 場所は王都から北に半日ほど進んだ先。 森の中にある洞窟、その内部。「森の洞窟が見えました。場所は王都の北」「ああ、間違いない」 俺が答えると、ヴァルトは少し複雑な顔でうなずいた。「その場所まで行って、洞窟の中を確認してきてくれ。それが仕事だ」「確認とは? 何をすればいいんですか」「文字通り見てくるだけでいい。きみの森の民としての目で見て、異常がなければそれでよし。もしも何か気付いた点があれば、教えてくれ」「はあ」 なんともふわふわした話である。ヴァリスらしくもない。「この件は他言無用だ。もしも話が漏れた際は、覚悟するように」「は、はひ」 ヴァルトに凄まれた。すごい威圧感なんですけど。怖。「きみが戻ってくるまで、奴隷と熊は預かろう。すぐにでも発つように」 人質というわけか? そこまでしなくても裏切るつもりはないがな。 部屋を出る。 扉の両側に立っていた騎士に睨まれた。 エリーゼとクマ吾郎の姿は見えない。 ヴァリスのことだから、手荒な真似はしていないと思うが……。 不可解な思いを抱えながら、俺は北に向けて出発した。 クマ吾郎もエリーゼもいない。 たった一人で野外を歩くのは久しぶりである。 寂しいような気持ちと、最初は一人だったという懐かしい気持ちが入り混じった。 時間はもう午後だったが、俺は一路北に向かって歩みを進めた。 夕方、日没の少し前に目的の洞窟を発見する。 森の奥深く、崩れかけた土の斜面に狭い入り口が開いている。 これは、事前に教えてもらわないと見落としてしまうだろうな。 背を屈めて入り口をくぐった。
俺はさらに観察を続けた。 壁は石だと思ったが、よく見ればどこか有機的な印象も受ける。 貝殻とか亀の甲羅とか、あるいは象牙のような。硬質だけれど生き物の痕跡を感じる、あの感覚だ。 ふと、壁の上部と左右にくぼみがあるのを見つける。 上部のくぼみは剣の形。 左のくぼみは丸い形。 右のくぼみは丸に尻尾が生えたような……あれは勾玉だろうか。 手を伸ばしてくぼみを触ってみる。やはり弱い魔力が感じられる。 だが、それ以上は何もない。 くぼみ以外の部分も指でなぞってみたが、何事も起こらなかった。「これは、『何もなかった』と言うしかないかなぁ」 壁を叩いてみたが、頑丈でびくともしない。 ただ、かすかに反響音がした。 もしかしたらこの壁は扉で、先は通路が続いているのかもしれない。確かめようがないけど。 それからもしばらく眺めたり触ったりしたが、何も変わりはない。 俺は諦めて帰ることにした。 時刻はもう夜だ。野営が必要になる。 俺は少し迷ったが、外に出て休むことにした。 ここの魔力は薄いが、どこか気味が悪いんだよな。落ち着いて休めない。 外に出ると真っ暗だった。月も星も分厚い雲に隠されてしまっている。 俺は久々に手近な木に登り、仮眠を取った。 いつもはクマ吾郎とエリーゼがいるから、交代で見張りをするのにな。『また来るといい、森の子よ』 眠りに落ちる直前。誰かの声が聞こえたような気がした。 翌朝、日が昇ると同時に俺は王都へと出発した。 おかげで昼になる前に到着する。 北門をくぐろうとしたところで衛兵に呼び止められて、王城へと向かった。 塔にあるヴァリスの執務室に入ると、彼が一人だけで待ち構えていた。「どうだった?」 問いかけに首を振る。「特に何も。不思議な場所だっ
パルティア王都から無事に帰ってきて以来、最近の俺は方向性に悩んでいる。 今日も盗賊ギルドの一室で、一人うんうん唸っていた。 レベルが上ってスキルやステータスも上昇し、中堅クラスのダンジョンを攻略できるようになった。 戦闘スタイルは以前と同じ。 クマ吾郎を前衛に、俺が剣、魔法とポーションでサポート。 最近はエリーゼが加わったが、彼女はあくまで補助要員である。 戦力としてカウントするには心もとない。 そのため、基本戦法は変わらなかった。 今の俺は中級冒険者の中でも、腕利きの実力といえるだろう。 それはいいんだ。 けれどもどうにも先行きが不安になっている。 というのも、ダンジョンの難易度が上がるに従って、混乱やマヒといったデバフ系ポーションの効きが悪くなっているのだ。 特にボスには牽制程度にしかならない。 このままの戦い方では、近いうちに行き詰まるのが目に見えている。 また、税金の滞納で犯罪者になった件。 それにヴァリスに頼まれて確認しに行った謎の洞窟の件。 これらのできごとは、国家権力に対して個人の無力さを思い知らされた。 少しくらい腕前が上がったところで、権力の前には意味がないのだ。 さらに難易度の高いダンジョンを効率よく攻略する方法。 権力を前にしても簡単に負けないだけの力。 もっと強くなりたい。 もっともっとお金を稼いで、クマ吾郎やエリーゼにいい暮らしをさせてやりたい。 この世界の理不尽から守ってやりたい。 難題ではあるが、全てはつながっているようにも思える。 個人の冒険者として誰にも負けないほどの腕を。 そして、お金の力を背景とした権力を。 つまり、目標が高くなっただけで今までと変わりはないのだ。 目標自体は変わらないが、そのための手段は変える時期である。 特にお金だ。 ただ暮らすだけであれば十分な収入があるが、それ以上を望むとなると…&h
この遺品――冒険者の日記の重要な点は、店で売っていたりダンジョンに落ちているポーションよりも高品質なものを作れると書いてあるところだ。 質の良いポーションであれば、レベルの高い魔物に通用する可能性がある。 混乱やマヒのポーションは、うまく決まれば相手を無力化できる。 ダンジョンで無限に出てくる魔物相手に、いちいち正面から戦うのは無理というもの。 だからぜひとも、無力化できる手段がほしかった。 一時的に無力化できれば、あとはボコるも逃げるも自由だからな。 錬金術はスキルである。 王都の冒険者ギルドで習えたはずだ。 その他にも生産系と思えるスキルは、あちこちの町にあった。 今までは余裕がなくてスルーしていたが、そろそろ取り組んでみよう。「ご主人様、考えは決まりましたか?」 部屋で待機していたエリーゼが言った。 ふと思いついて、俺は言ってみた。「エリーゼは裁縫スキルを持っていたよな。あれ、服とか作れるのか?」「どうでしょう……。わたしのスキルは低すぎて、繕いものをするくらいしかできません。でも、スキルを鍛えればできるようになるかもしれませんね」「なるほど」 スキルを最初から持っているのは強みだ。鍛えてみる価値はあるだろう。 さすがの俺も、全ての生産スキルを一人で極めるのは大変すぎる。手分けするのはいいアイディアだ。「ダンジョン攻略、ちょっと行き詰まってきだだろ。だからここらで方向転換しようと思ってな」 俺はエリーゼとクマ吾郎に考えを話して聞かせた。 二人ともうなずいている。「幸い、スキル習得に必要なメダルはたくさんある。これから各地を回って、めぼしいスキルを覚えてこよう」「はい!」「ガウッ」 そうして俺たちは春の季節を移動と町めぐりに費やした。 各町で見つけた生産系スキルは以下の通り。 鍛冶。ハンマーを振るって金属を加工し、武器や防具を作る。
「違う違う、エリーゼが嫌いという意味じゃない! 奴隷制度そのものに反対ってことだよ。だってお金で人を売ったり買ったりするなんて間違っている。エリーゼだって子供の頃は開拓村の自由民だったんだよな。それが奴隷になってしまって、嫌だっただろう」「わたしが奴隷になったのは、親に売られたからです。わたしを売ったお金で家族は冬を生き延びました。仕方ないことです」 いきなりヘビィな話が飛び出した。 分かってはいたが、この世界で日本の常識も良心も通じやしない。 けれど割り切るのは嫌なんだ。 前世の話をして理解してもらえるわけはないので、説明に苦労した。 けれどエリーゼを嫌っているわけではないこと、奴隷制度そのものに疑問を持っていることは分かってくれたらしい。「ご主人様は優しいですね」 と微笑まれてしまった。「けど、この国に奴隷制があるのはどうしようもないですよ。だったら奴隷を買って、わたしみたいに優しくしてあげて、生きる力を育ててあげてください」 この国の人間で今なお奴隷身分の彼女の言葉には、説得力がある。「……分かった。ただ、養う人数が増えればお金や食べ物の問題も出る。少し考えさせてくれ」「はい」 エリーゼの言葉で、俺は業務拡大(?)の決心をした。 今の俺の実力は、上級冒険者といって差し支えない。 中堅クラスのダンジョン攻略は問題なく進めて、ボスから得た装備品も充実した。 クマ吾郎といっしょに効率よく戦闘を繰り返したため、短期間で強くなれたのだ。 当然実入りも良くなって、貯金はかなり増えた。 だが、何人もの奴隷を買って彼らを養うとなったらどうだろう。 生活費を稼ぐためにカツカツになってしまっては意味がない。 奴隷の皆さんにしっかり働いてもらって、さらに利益を上げなければ。 そのためにはどんな人材を買って、どんな仕事を割り当てるか熟考の必要があ
おっさんの言葉に俺は頭を巡らせた。 店を出す場所はよく考える必要がある。 まず、町の中はあまり良くない。すでに別の店があって競合してしまうから。 既にある店のほうが経営や仕入れのノウハウが豊富だろう。固定客もいるだろうし。 素人の俺がいきなり参入しても不利になってしまうと思う。 じゃあ店を出すなら町の外か。 街道沿いで人の多い場所や、ダンジョンがよく生まれる地域で冒険者相手に商売するのが良さそうだ。 もちろん、いい場所は既に店が出ている。だが現役冒険者である俺の視点から見れば、まだまだ穴場があるはずだ。「分かった。ありがとう」「おうよ。店をやるのか?」「まだ計画段階だけどね」 そんな話をして、俺は冒険者ギルドを出た。「どうでしたか?」 外で待機していたエリーゼが尋ねてくる。「王都で出店の許可をもらえるんだってさ。場所を考えながら王都まで行こうか」 王都にはこの国で一番大きな奴隷市場もある。人材の調達はそこですればいい。 この一年で配達やダンジョン探しをしてあちこち歩き回ったおかげで、この国の地理はだいたい把握している。 店を出すのにいい場所も、いくつか目星がついていた。 王都までの道すがら、手頃なダンジョンがあったのでいくつか攻略した。 寄り道をしたせいで少し時間を食ってしまい、王都に到着する頃には季節は初夏になっていた。 せっかくここまで来たので、直近の税金を納めておく。もう脱税騒ぎはごめんだからな。 今度はヴァリスに呼び出されることもない。 お役所に行って新規出店について案内を聞いた。 担当のお兄さんが言う。「店を出すには許可証が必要です。こちらの申請用紙に記入の上、お金を添付してください。金貨三枚です」「なかなかお高いですね」 金貨一枚あれば、一人暮
そうして向かった奴隷市場は、相変わらず胸くそ悪い場所だった。 やっぱり俺は奴隷制が嫌いだよ。 だいたい、どうして人間を道具としてお金で売買するのが許されるのか。 この世界、この国は理不尽が多いが、奴隷制度はその最たるものだと思う。 鎖に繋がれ、手かせをはめられた奴隷たちが狭い檻に押し込められている。 向こうではオークションをやっているらしく、台の上に立った奴隷たちが自分の名前と特技を書いた札を持っていた。 オークションを後ろの方から見ていたら、奴隷商人に話しかけられた。 愛想のいい笑顔を浮かべているが、同時に警戒心も見て取れる。 エリーゼを買ったのはならず者の町だった。 あそこじゃ盗賊ギルドのバルトが付き添いに来てくれたおかげで、待遇が良かった。 俺はここじゃ見慣れない顔だろうからな。「お客さん、見ない顔ですね。今日はどんな商品をお探しで?」 人間を商品と言ってはばからない。俺はイラッとしたが表には出さずに言った。「生産スキルが得意な人を探している。戦闘はできなくてかまわない」「それでしたら……」 奴隷商人はオークションから離れて、建物の一つに俺たちを招き入れた。 何人かの奴隷が引き出されてくる。 比較的若い人からお年寄りまで、さまざまだった。 そうして紹介された奴隷は確かに生産スキルを持っていた。 いつぞやのならず者の町の奴隷商人よりも優秀だな。あいつ話聞いてなかったからな。「エリーゼ。どの人がいいと思う?」 エリーゼに聞くと、その場にいた全員が意外そうな顔をした。 え、なに?「お客様はわざわざ奴隷に意見を聞くのですか。これはお優しい」 奴隷商人が嫌味な口調で言う。 そういうことかよ。俺は言い返した。「これから買う奴隷は彼女の仕事仲間になるんだ。相性も大事だろ」 本当は奴隷だって人間だ、お金で売り買いするなど間違っていると言いた
その日の夕食時、みんなの前で今日の話をする。「……というわけで、畑の作物に税金がかかるんだそうだ」 俺が言い終えると、部屋の中はため息とがっかりした空気で満たされた。「お国のすることは、いつだって横暴じゃのう」 バドじいさんがため息をつく。 俺も続ける。「正直、これからの方針が不安になった。下手にお金を稼ぎ続ければ、国に目をつけられるかもしれない」「実は店のほうも、帳簿に難癖をつけられて」 エリーゼが遠慮がちに言う。「間違いとも言えないような小さいミスをあげつらって、違反金を払えと言われました」「そんなことがあったのか」「はい。その後、間違いではないと証明できたので、お役人は引き下がってくれましたが」 役人どもはろくなことしないな。 最悪、ミスのでっち上げもあり得る。「たぶんそれ、ワイロよこせって意味だと思うぜ」 夕食のかぼちゃスープをすすりながら、ルクレツィアが言った。「帝国じゃよくある話でさ。袖の下を渡しておけば、色んなことを見逃してもらえる。ワイロを拒めば必要以上に厳しくされる。どこも同じだね」「嫌ですねえ。わたくしたちはいいものを作って、真っ当に商売したいだけなのに」「ガウ……」 レナとクマ吾郎もげんなりした表情だ。 エミルは困った顔で大人たちを見ている。「これからもうるさく言われるようなら、ワイロを渡すのもアリか……」 ムカつくが、奴隷たちの身の安全とスムーズな商売のために仕方ないのかもしれない。 エリーゼが言った。「わたしが開拓村にいた頃は、子供だったので。ここまで税金が重いとは知りませんでした。家族がわたしを奴隷商人に売ったのも、やむを得ないと実感しています」 彼女は家族が生き延びるために売られたんだったな。 悲しい思い出を思い出させて申し訳ないよ。 &he
みんなの意見がまとまったことだし、近い内に王都へ行って奴隷を買ってこよう。 そう思っていたある日、家にパルティア国の役人がやって来た。衛兵を三名ほど連れていた。 役人は横柄な口調で言った。「この家で麦を植えていると聞いて、確認しに来た。畑を見せろ」「どうぞ。こっちです」 家の裏手、イザクの畑は金色の麦穂でいっぱいだ。 横のほうにはナスやトマトなんかの野菜も植えてある。 役人は畑の実り具合を見て唸った。「この広さで麦を栽培しているとなると、税金がかかる」「えっ。俺、収入に対しての税金はきちんと納めていますけど。それとは別に?」 それにそもそも、ここの畑は自家消費用で作物を売ったりはしていない。 俺は思わず文句を言いかけて、ぐっとこらえた。 ここで役人と言い争うのは得策じゃない。「そうだ。麦は我が国の主食。ごく小さな家庭菜園程度なら見逃すときもあるが、ここまで広ければきっちりと取り立ててやろう」 ええー! ただでさえ二ヶ月に一度の税金はけっこう重いってのに、畑からも取るのかよ。「税率はどのくらいです?」「五割だ」 高すぎんだろ! この国に食い詰めた人が多いのが分かったわ。 苦労して畑を耕しても、半分も作物を持っていかれるんじゃ暮らしが成り立たない。 肥料とかの経費を差し引くとかそういう考えもない。出来高からまるっと五割だ。 だが、国家権力に逆らえるわけがない……。 今ここで衛兵と役人を皆殺しにするくらいの実力なら、今の俺にもある。 昔は衛兵に歯が立たなかったが、今なら三人相手取っても負ける気がしない。 けれどもそんなことをやってしまったら、俺は一気に重犯罪者だ。 奴隷たちも連座の罪に問われて死刑になるだろう。 そんなのできるわけがない。くそ。「今日は測量をしていく。計算結果にもとづいて税金を請求するので、必ず支払うように」
奴隷制は未だに嫌いだが、もうそんなことも言っていられない。「そうしてもらえると、助かります」 夕食時、みんなが揃ったところでこの話を切り出した。 今日はルクレツィアとクマ吾郎も戻っている。ちょうどいい機会だった。「というわけで、人手不足解消のために奴隷を買おうと思うんだ。どんな人がいいとか、みんなの意見を聞きたい」「接客と計算ができる人だと助かります」 エリーゼが言った。 彼女の仕事は店関係。特に帳簿や商品管理は一人でしているので、負担が重いだろう。「私は助手がほしいです」「わしもじゃ」 錬金術のレナと宝石加工のバドじいさんは、同じことを言った。「最近は店の売上が好調で、生産が追いつかないんです。ユウ様たちのダンジョン攻略の際には、良いポーションを持っていってほしいから」「わしも作るはしから売れる今の状態は、ありがたいんじゃが。いいものができたら、ユウ様やルクレツィアやクマ吾郎に使ってほしいんじゃ」「ガウ」 バドじいさんはクマ吾郎の頭を撫でた。 そのクマ吾郎の首には、宝石の嵌った首輪がつけられている。 魔法の守りが込められた、バドじいさん自慢の一品だった。「オレは畑をもっと広げたい。農業スキル持ちを買ってもらえるとありがたい。できれば三、四人」「そんなに?」 思わず言うと、イザクはうなずいた。「広い畑を手入れするには、人手がいる。今はオレ一人でやれる分しかやっていなくて、いつももったいないと思っていた」 今でもけっこう広いと思うんだけどな。 特に今年は春蒔きの小麦を植えたので、そろそろ収穫できそうなのだ。 小麦が採れれば麦粥にしたり製粉してパンにしたりと、自給自足の幅が広がる。「……そういえば、製粉するにも労力がかかるよな」「そういうことだ」 俺のつぶやきにイザクが同意した。 純粋な農作業だけでなく、周辺の仕事も含めての人数か。なるほ
春、夏と半年間を鍛冶に目一杯打ち込んだおかげで、俺の鍛冶の腕前はかなり上がった。 扱える素材はずいぶん増えて、今は魔法銀を主体にやっている。 魔法銀は名前の通り、魔力が含まれた銀色の金属だ。 軽い上に魔法と相性がいいので魔法使いに愛用されている。 ただ頑丈さはやや難あり。 なので生粋の戦士たちには、耐久度抜群のアダマンタイトのほうが人気がある。「ユウ様よぉ。ダンジョンでグリーンドラゴンをぶっ殺したら、こんな素材が手に入ったぜ」 ある日、ルクレツィアが変わった素材を取ってきてくれた。 緑色でツヤツヤした鱗である。「おっ、これは竜鱗だな! 素材としては最高クラスだよ。やるじゃないか!」 俺が目を丸くすると、ルクレツィアとクマ吾郎は得意げな顔になった。「へへっ。あたしらにかかれば、ドラゴンだって敵じゃないんだよ」「ガウ!」 まったく頼もしいな。 俺の手の竜鱗を覗き込みながら、ルクレツィアが言う。「ドラゴンは色違いが何種類もいるだろ。そいつらの鱗も素材になるの?」「もちろんだ。ドラゴンは属性を持っているからな。例えばこのグリーンドラゴンは、弱い冷気属性。レッドドラゴンは火属性」「へぇ~。じゃあ、色んな色のドラゴンの鱗をむしり取ってくりゃあ、ユウ様の鍛冶の役に立つな?」 俺はうなずいた。「今の俺の実力じゃ、竜鱗はちょっと難易度が高いが。もっと練習すれば、必ず扱えるようになる。そうすればお前たちの武器や防具を作ってやれるよ」「いいね! ユウ様が作ってくれた斧、切れ味よくてさ。気に入ってるんだ」 そんな話をしていると、バドじいさんがひょっこり顔を出した。「今、竜鱗がどうとか聞こえたんじゃが」「うん、ほらこれ。ルクレツィアとクマ吾郎が取ってきてくれた」 グリーンドラゴンの鱗を見せると、彼は目を輝かせた。「おおお、素晴らしい! 竜鱗は宝石加工スキルでも最高ランクの素材でしてなあ。これがあれば、効果の高い護符が作
そうしているうちに季節は巡り、三度目の春がやってくる。 俺は記憶喪失で誕生日を覚えていないので、難破船から放り出されて洞窟で目覚めた日を誕生日代わりにしている。 だからその日、俺は十七歳になった。「ユウ様、お誕生日おめでとうございます!」「おめでとう!」「おめっとさん」「ガウ~!」 家の皆が盛大に祝ってくれて、ちょっと照れくさかった。 その日の食卓はいつもより豪華な食事が並んで、みんなでおいしく食べた。 今さら誕生日を祝うような年齢ではないが、こうやってパーティ気分で楽しくやるのは悪くない。 食後のケーキはエリーゼとレナの手作りだそうで、おいしかった。みんなすっかり満腹、満足。 エミルが「僕もお手伝いしたんだよ!」と胸を張っていたので、頭を撫でてやったよ。 レナとバドじいさんの生産品はますます品質が上がって、店の売上は絶好調。 ひっきりなしにお客が来るものだから、店が手狭になってきたので、拡張を決意する。 ついでにいよいよ、俺も鍛冶スキルの練習を始めよう。 王都の大工に出張を頼んで、店舗スペースを広げてもらった。 さらに家の横に鍛冶場を作る。 それなりにお金がかかったが、資金はしっかり貯めてある。問題ない。 これで準備は整った。 ダンジョン攻略と素材採集はルクレツィアとクマ吾郎のコンビに任せる。 ルクレツィアは突撃癖がまだ抜けきっていないが、クマ吾郎がいれば安心だろう。あいつは頼れる熊だからな。「いいか、二人とも。くれぐれも『命大事に』だ」「へいへい。分かってるよ」「ガウー!」 そうして俺は鍛冶に取り掛かる。 最初は扱いやすい青銅なんかを叩いて、そのうち鉄に。 カーン、カーン……。 熱した鉄は真っ赤になって、叩くたびに火花が散っていく。 叩き具合によって金属の硬度
統率スキルの効果が確認できたので、俺たちはますます仕事に励んだ。「なあ、ユウ様よ。たまにはあたしもダンジョンに連れて行ってくれよ。腕がなまっちまう」「まあ、そうか。今のとこ店に強盗が来たわけじゃなし、実戦の機会がなかったもんな」 女戦士のルクレツィアがそう言うので、自宅の警備をクマ吾郎と交代してダンジョンに行ってみた。「ヒャッハァ! 死ね、死ねー!」 ルクレツィアはぱっと見、美人なんだけど。 戦い方はバーサーカーだった。「ちょ、ルクレツィア、ストップ! 一人で突っ込んだら危ないだろうが」「ユウ様のサポートが届く範囲までしか、行ってないぜ?」 しかも野生の勘が鋭いバーサーカーである。 彼女の戦士としての腕前の割に、奴隷の値段が安いのはなんとなく察した。 狂犬すぎて御するのが大変だったんだろう。 ボスを見つけて単身で突っ込んでいったときは肝が冷えた。 しかも瀕死になるまでダメージを受け続けて、後一撃で死んでしまう! となってから回復ポーションを飲むのだ。 いくらレナのポーションが効果抜群だと言っても、これはない。「お前、ほんっとーにやめろよ! そんな戦い方してたら、いつか死ぬぞ!」「いいじゃん。戦士は戦いで死んでなんぼよ」 ケロッとした口調で言うので、俺は怒りを覚えた。「いいわけあるか! 俺は誰にも死んでほしくないんだよ。俺自身、今まで必死で生きてきた。生きたくても生きられない人の気持ち、考えたことあるか!?」 この世界で目を覚ましてから、理不尽な死者は何人も見てきた。 あんなふうに死にたくない一念で俺はここまで来たんだ。 ルクレツィアは気圧された様子で口ごもる。「え、あの……?」「お前が死んだら、家のみんなが悲しむと分かって言ってんのか? エミルは泣いて夜寝られなくなるぞ。他の大人だってどれだけ落ち込むことか。それ分かった上で言ってんのか!?」「……悪
表示されたステータスに妙なものを見つけて、俺は思わず叫んだ。「え! なんだこの『特殊スキル、統率(小)』って!」 メダルで習得した覚えはないし、それっぽい行動も特に覚えはない。 思わず声を上げると、エリーゼも不思議そうに言った。「でも、何となく味方がパワーアップしそうな名前ですね。統率」「確かに」 いつの間にこんなの生えてたんだろうか。 俺たちは首をかしげながらも、分からなかったので保留となった。 統率のインパクトがすごすぎて忘れていたが、ついに魅力が上がったのも地味に嬉しい。 エリーゼが教えてくれた歌唱スキルのおかげだと思う。もう音痴とは言わせない。 後日、王都で色々と調べた結果。 統率は多くの仲間を引き連れたリーダーに与えられるスキルだと判明した。 仲間の数と忠誠心によって会得する。 効果は仲間にさまざまなボーナスを与えるのだという。 俺は今年になって奴隷をたくさん買った。 奴隷というより仲間に近い感覚で彼らに接していた。 そりゃあそんなに甘やかすつもりはなかったけど、彼らはあくまで人間。仕事仲間だ。その思いは変わらない。 だからみんなも俺に心を開いてくれた……と思う。 それが忠誠心という形で表れて、統率スキルになったのか。 確認されている統率スキルの効果はさまざまだが、その中に「仲間の潜在能力を引き出し、成長を促す」というのがあった。 ここ最近のみんなの急激な成長はそのおかげだろう。 そういえば、俺自身の成長よりもクマ吾郎パワーアップのほうが上なんだよな。 統率スキルの影響だったのか。「そんなことってあるんだなぁ」 思わずつぶやくと、「ガウガウ!」 クマ吾郎が得意げな顔で鳴いた。 まるで「分かってたもんね!」とでも言いたそうだ。 そん
季節は夏を過ぎて秋になり、やがて冬に差し掛かる。 それぞれの役割を忠実に果たし続けた俺とクマ吾郎、それに奴隷たちは、努力に見合った成果を手に入れていた。 俺とクマ吾郎は戦闘能力がかなり上がった。 もう一流冒険者としてどこへ行っても恥ずかしくない実力だ。「俺は一流。クマ吾郎は超一流かもな」「ガウ!」 奴隷たちはおのおののスキルを磨いた。 錬金術のレナのポーションは、店で売っているポーションより一回り高い性能を発揮する。 中級レベルまでのダンジョンであれば十分に通用する性能だ。場合によってはボスにも使える。 宝石加工のバドじいさんのアクセサリーは、冒険で大きな効果を出している。 このクラスのアクセサリーは店では売っていないし、ダンジョンのドロップを狙うにも難しい。 ある程度の数をいつも揃えているこの店はとても評判がいい。 エリーゼも裁縫の腕を上げて、みんなの服を作るようになった。 ただ、彼女は店の経営と二足のわらじ。他の奴隷に比べれば裁縫スキルはゆっくりとした成長になっている。 イザクは農業スキルを上げて、見事に畑を耕した。 家の裏手はよく整えられた畑が広がっている。 秋まきの野菜が植えられて、もう少しで収穫できるという。楽しみだ。 子供のエミルと女戦士のルクレツィアは、そこまで変化はないな。 エミルはまだまだ幼い。 ルクレツィアは元からけっこう強かった上に、まだうちに来てからそんなに経ってないし。「それにしても、みんなすごい成長ぶりだよなぁ」 ダンジョンから家に帰った俺は、レナとバドじいさんの新作を見ながら言った。「世の中に錬金術師や宝石加工師は、たくさんいると思うんだけど。レナやじいさんは修行を始めてまだ半年そこらだろ。それが標準より良い性能のものを作るんだから、びっくりだよ」「そうですね……。実はわたしも、ちょっと不思議で。やっぱりご主人様の人徳でしょうか?」
家人らの担当が決まったので、俺とクマ吾郎の坑道も決める。 俺とクマ吾郎は今まで通りダンジョンの攻略に精を出すことにした。 これまでは金策メインだったが、これからは素材採集をもっと積極的にやるつもりだ。 どんどん作ってがんがんスキルを鍛えてほしい。楽しみだ。 鍛冶スキルは習得したものの、実際に手を出すのはもう少し先になる。 というのも、鍛冶はハンマーやら金床やら溶鉱炉やら、設備が必要になるからだ。 今の家じゃ狭くて置き場がない。 いずれ鍛冶場を作らないといけないな。 まあ、奴隷たちのスキルがもっと上がって店の売上が安定してからの話だ。 そうして回り始めた新しい生活は、順調なスタートを切った。 俺とクマ吾郎がダンジョンで採集してきた素材は、レナが錬金術でポーションに、バドじいさんが宝石加工で護符やアクセサリーにしてくれる。 どちらもまだそんなに品質は高くない。 が、冒険者が多く行き来する場所に店を出したのが当たりだった。 ダンジョン攻略の前後に立ち寄る冒険者が予想以上に多くて、ポーション類はいつも売り切れ。 護符とアクセサリーも上々の売上を記録している。 護符とかアクセサリーは魔法の力を込めて作るんだが、壊れやすい。半消耗品なのだ。 作れば作るほど売れるとあって、レナとバドじいさんのやる気がアップした。 毎日たくさんの生産をこなして、腕もぐんぐん上がっている。 そんなある日、俺がダンジョンから帰るとエリーゼが話しかけてきた。「ご主人様。盗賊ギルドのバルトさんから手紙が届いています」「バルトから?」 久々に聞いた名前に首をかしげながら、手紙を開いた。『親愛なるユウへ。 きみが店を持ったこと、たいそう繁盛している話を聞いたよ。 もうならず者の町に戻る気はないのかな。 盗賊ギルドの宝石